時代のニーズにこたえ、つねに新しい価値創造を
トーサイは、自動車がまだ「新・三種の神器」と呼ばれ、一般家庭の憧れの的だった時代に創業。
以来、業界初の中古車フェア開催、「日本一の桃太郎」マークプロモーション、関東・東北での中古車市場開拓、
「自動車買取専門店カーセブン」設立など、業界をリードして中古車の認知度・信用性向上に努めてきました。
これからも、当社は、「お客様、社員、社会に必要とされる企業の創造」のために、 たゆまぬ努力をし、店舗展開、人員拡大、教育強化を図り、躍進していきます。
トーサイアポが産声を上げた当時は、自動車はまだ「新三種の神器」と呼ばれ、クーラー、カラーテレビとともにその頭文字を取った「3C」が流行語になったほど、一般家庭では憧れの品で、新車は高額で消費者にクルマは手の届かないものだった。しかし、中古車はまだ認知度が低く、消費者の中で信用性も無い時代。そこで、当時の社長(現会長・柏原正昭)が中古車を広めるために、数社合同でフェアを開催することとなり、大規模で開催したかいもあり、大反響。中古車の認知度も信用性もあがり、同時にトーサイアポの認知度もあがり、時代の先駆けとなる大きな一歩となる大成功をおさめた。
更なる中古車業界を盛り上げるため、話題性のある事を実施。消費者の記憶に残りやすくするために、「桃太郎=日本一」というキーワードを採用し、当時では考えられないほどの大きさである横幅30メートルもの看板を設置。この時代では見た事もない大きさの看板と、そこに描かれている日本一の桃太郎のマークのインパクトが話題となり、さまざまな雑誌に取り上げられ、認知度、来場が激増した。
当時は、注文書、見積書が手書き、在庫管理も多店舗間を移動し、片道1時間かかるコトも少なく無かった。そこで、当時はまだ目新しいオフィスコンピューターで管理していく方向へと切り替えた。パソコンで管理する事により、手書きから打ち込みとなり、プリントアウトできるようになり、お客様を待たせる時間が、飛躍的に短くなる。さらに、在庫管理も、写真とともにシステムに導入し、パソコンで閲覧できるようになった。だが、その時代は、雑誌で車さがしをしていた時代。パソコンで見せるデータはなかなか信用は得られなかった。しかし、地域密着のスタンスが実を結び、顧客の信用、興味を得る。認知しはじめると、このシステムのスピード性・管理の安全性・情報の豊富さに顧客が大幅に増加。社員の業務効率も飛躍的にあがり、結果、社員の為の対策ともなった。
関東埼玉で勢いを増していた中、当時、まだ競合他社のなかった東北に目をつける。縁あって無事東北に出店。販売するクルマは、クルマのナンバーが「埼玉」ナンバーだったため、消費者には、「都会の質が良いくるま」との印象になり、販売は加速・地元で有力な地主さんとの縁で、一気に店舗展開し、拡大に成功そのころには、関東での出店も順調にすすみ、中古車ディーラーとしては、最多の11店舗チェーンとなっていった。
社長が哲郎氏に代替わりし、時代の変化から、今後買収のニーズを予測した。そこで、トーサイアポ単体で、「自動車買取専門店カーセブン」を設立。その後、ニーズ性が高まり、数社の出資を得て、現在のカーセブンがスタート。トーサイアポは筆頭株主となる。社長の哲郎氏の予測は的中し、業務は一気に拡大。さらには、イメージキャラクターに「小倉優子」を起用。大きな話題となり、FC展開に拍車がかかる。
変化の流れが速い今の時代のニーズにこたえ、つねに新しい価値創造に挑戦していくために、組織力向上による第3次組織変革、新規採用を拡大し人材の確保と育成による人間力工場、また、クレドを導入しトーサイアポの総合チームワークの向上に取り組んでいます。これからも、当社は、「お客様、社員、社会に必要とされる企業の創造」のために、たゆまぬ努力をし、店舗展開、人員拡大、教育強化を図り、3年で売上を130%へ躍進していきます。